プロフィール完成版(仮)

 3月になりました。「あの日」2011年3月11日の東日本大震災から1年が経とうとしています。
 あの日以降、会う人と「震災当日はどうしていたか」ということが共通の話題にあがるようになりました。
 これまで、まだよく知らない相手と何か共通の話題を、といえば大抵「天候」の話を持ち出しました。「天候」はどんな人にも通じますし、自然のものですから、晴れようと雨であろうと「この天気の責任者は誰だ!」などと刺々しい雰囲気になることはありません。
 地震、津波もまた自然現象です。そして「天候」と同じく、どなたも等しく何かを考える機会であったと思います。でも「天候」とは違い「災害」でした。1年前の天気の事を誰も話題にはしません。そのことが今もまだ続く「災害」である事を痛感します。
 まだまだ振り返ることは難しい日です。
 「あの日」ではなく、「あの日」以降の変化について、記したいと思います。
 ひとつめは、防災避難用のバッグを用意したこと。セットで売っているものではありません。たまたま手元にあった本「地震イツモノート」(現在はポプラ文庫、588円)を参考に、あれこれ家にあるものを詰め合わせて出来上がり。簡単なものです。これを玄関近くに置いてあります。
 ふたつめは、連絡網を作ったこと。震災当日、携帯電話、メールは通じませんでした。代わりに役立ったのはツイッター。わたしは震災以前から使っていましたが、これまでしていなかった周囲の人も、アカウントを作りました。普段はつぶやかなくとも、いざという時、リアルタイムで互いの状況を伝えあえる。これだけで随分不安は減ります。
 みっつめは、信頼する情報を選ぶこと。あの日以来、あらゆる情報が飛び交っています。それら全てを風評被害と言っていいのか、そうでないのか、個人の判断にゆだねられていることも多いのが現状です。これまでこんなに選択を迫られる日常を過ごしたことはありませんでした。たとえば水、食べ物、空気。どれも生きるためには欠かせないものです。水道水を信頼できなければ、買うしかありません。どこで買うか選ぶ必要もあります。そしてその判断を誰も責めることはできません。小さな子どもがいる人。これから出産を控えている人。特に心配もないから何でもOKな人。みんないろんな事情があるのですから。
 ひとつ心配なのは、みな寛容さを失いつつあるのでは、ということ。それはわたし自身も含めてです。疑心暗鬼になりすぎて、何もかも信頼出来なくなると、生きることも苦しいものです。生きることは、苦しさから逃れられないものだけど、わざわざ自分から苦しむ必要などありませんよね。どこかで羽を伸ばして、大きく深呼吸したい。そんなことを思う今です。