プロフィール完成版(仮)

 あっという間に年末です。毎年言っている気がしますが、今年はスピード違反じゃない?というくらい一年が過ぎるのが早かったです。
 今年の秋から冬にかけて、古典にまつわるフォーラム、イベントに参加する機会が何度かありました。すべて無料のイベントで、お客さんを入れて行われました。こういう時、わたしは高校時代の恩師に「見に来ませんか?」とお誘いします。なぜなら恩師はわたしの国語の先生だからです。これまで何度お誘いしたか失念しましたが、お誘いしたほとんどのイベントにお越しいただき、終わってから、あるいは後日メールで感想を聞かせてくれます。
 その度に、自分でも気づかない点を指摘され、「もっとこうすればよかった」とか「意外に褒められた」と仕事の反省点を振り返ったり、自分自身の意識の底にあるものに気づかされたりします。そういうこまかな指摘をしてくださる恩師の存在、ありがたいものです。
 ところで、世の中には「先生」と呼ばれる職業があります。学校の教師、医者、政治家、何らかの専門家など、すべて「先生」と呼ばれる職業ですね。講演の仕事で、時折「先生」と呼ばれることがあります。なんとなく恥ずかしいので「先生ではなく、中江さんでお願いします」と言います。もともと「先生」は、自分が教えを受ける人という意味合いですから、おっしゃる方が相手を「先生」だと思えば、そう呼んでも問題ないのですが……わたしにはくすぐったい。
 わたしにとっての「先生」と言える人は、たとえその人が目の前にいなくとも「○○先生」と自然に呼んでしまう人です。上に書いた高校の恩師、お世話になっている病院の先生、お芝居の先生がそれに当たります。
 不思議なのですが、年を重ねるほどに、何かを学ぶことが楽しくてなりません。だから、教えてくれる「先生」はありがたいし、自分にとって必要な知識を分け与えてくれる「先生」は、それだけで尊敬する存在。
 学業だけでなく、どんな分野にも自分の「先生」を想定しておくのは、迷った時の灯台のような存在になってくれるように思います。
 わたしの人生の「先生」といえば、まずは母。これは反面教師の部分も含めて。
他には高校の恩師もそうですし、亡くなった児玉清さんも大きな灯台。そしてわたしが好きな本の世界には、たくさんの「先生」がいます。
 本の「先生」の多くには直接会ったこともないし、わたしが産まれた時にはすでに亡くなっている作家もいます。でもその人の残した言葉は、わたしを励まし、時に慰めてくれました。本を開けば、すぐそこにいる「先生」。
「先生」って何人いてもありがたいものです。