プロフィール完成版(仮)

 故郷大阪は、言わずと知れた「吉本興業」のおひざ元。子どもの頃からテレビで放映される吉本新喜劇は、毎週のように見ていました。漫才も同様です。
 よく「大阪の人の会話は漫才みたい」と言われます。いわゆる「ボケ」と「つっこみ」を繰り返す漫才的会話を子どもの頃から延々と見ていたから、いつのまにか多くの人が漫才口調の会話になってしまった、というのがわたしの持論です。
 そう、大阪のお笑いは大阪の文化なのです(大げさですみません)。
 大阪の笑いにどっぷりとつかって育ったわたしは大阪の笑いが好きです。年末年始の過ごし方といえば、漫才の日本一を決める「M-1グランプリ」(2010年でおしくも終了)から始まり、初笑いと題したお笑い番組が多くなるので、どれを見ようか、どれを録画しておこうか、と計画し、とにかく毎日笑う。一日一笑い。
 わたしがお笑いを意識したのは中学生のころ、ダウンタウンの漫才を見た時でした。
 それまで多くの漫才を目にしてきたけど、ダウンタウンの漫才はこれまでの漫才と明らかに何かが違う、と子どもながらに感じ、彼らがテレビに出るのを心待ちにするようになりました。
 その後ダウンタウンは大阪で絶大な人気を得て、多くのレギュラー番組で活躍していました。にもかかわらず、ある時それらをすべてやめて、東京へと行きました。その後の東京での活躍はご存知の通りです。
 現在は関西弁の芸人さんが大挙して東京のテレビに出ていますが、わたしが上京した当時(ふた昔前)はそうではありませんでした。
 ですから現在のように大阪のお笑い芸人さんの活躍は嬉しく、特別応援している人が出ていると、必ず録画するなりして見ています。
 こんな風に書くとかなりミーハーなお笑い好きだとばれてしまいますが、わたしは単純に、だれかを笑わせる人々が好きなのです。
 大阪は「苦労を笑い飛ばす」というような風潮があります。自分の「苦労」を客観し「笑い」に変える。そうした知恵と生きる逞しさが大阪の笑いの原点です。わたし自身、大阪を舞台にした作品の会話を書く時、自然と漫才口調で書いています。悲しいことを明るく、明るいことをさらに明るく書く。いくらでも会話が頭に浮かんできて、パソコンを打つ手が追いつかないくらいです。そういう時に、大阪生まれでよかった、大阪のお笑いに親しんでいてよかった、と思います。
 笑いで迎える新年、皆さまのご多幸をお祈り申し上げます。